聲明公演~曼茶羅音の饗宴~

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今回の場所は福島市。「福島市音楽堂」という所。行ってみたら「古関裕而記念館」のとなり、でした。

古関裕而さんは、明治42(1909)年福島市大町に生まれたんだそうな。
そういえば、「大町」というバス停があったですね。駅の近くでした。
古関裕而さんといえば、「鐘の鳴る丘」「君の名は」・・・そして、あの、東京オリンピックの選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」!・・・ですわな~。

主催は「日本テレビ小鳩文化事業団」と「福島中央テレビ」。

司会者が、震災に遭われた皆さんに癒やしを・・・とか言ってる。
そういえば、駅前で学生とおぼしき男がひとり、ハンドマイクで原発問題を訴えていた・・・(-_-)

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さて、声明公演ですが・・・

第1部と第1部の間の休憩にはいる時に、斜め前のおっちゃんが・・・
せっかくのお経を、ダメにしちゃってると思うよ、バイオリンが・・・俺は、ね、そう思う」と言ってたですが・・・おっちゃんは正しい!

例によって・・・写真のように、こっちに向かって「ハの字」に並ぶ式衆の後ろにパイプ椅子が置いてあって、イヤ~な予感がしましたが・・・

最初の「四智梵語」こそ、ボーサンだけだったものの、次の「四智漢語」から、バイオリン×2、ビオラ、チェロ、フルート、クラリネット、ピアノが混ざってきました~(>_<)

声もPAしているのですが、ミキシングが悪くて「伴奏」のはずの楽器が、うるさい!という感じ。
声を消しちゃってます。

1200年にわた脈々と受け継がれた聲明が西洋クラシック楽器の奏でる音楽と柔軟に調和し、厳かな雰囲気の中、揺るぎない深く豊かな声を響かせます。」・・・と謳っておりますが・・・ダメ・・・です。

声明に対する理解が、根本的なところでダメ、です。
声明が「声」であるということを忘れてはいけません。
声に、祈りの気持ちを込める・・・ただ、それだけ!

もうひとつ、大きな間違い。
それは、声明に合わせるなら雅楽だということ。

声明に「楽」を合わせるのは、それは大昔からあったことで、今でも、奈良や四天王寺では雅楽が使われています。
知人の「法会の女人・Caster6さん」に聴けば、雅楽が入ることが当たり前のように思っていた、とのこと。

そういう勉強をこのピアノ兼音楽監督がしていれば、こんなアレンジにはならなかった・・・でしょうか。

3番目の曲「対揚(たいよう)」は、天台宗では「輪唱」のように唱えるもので、私が聴いた限りでは、厳密には、それが「和音を成して聞こえない」という微妙なニュアンスの声明曲。
そこに、楽器を入れたので、大不協和音大会~!・・・になってしまって、聞き苦しいったらありゃしない。

楽器も、クラシックどころか、現代音楽、それもかつてのアングラ的な感じがしちゃったりして・・・。

楽器の皆さんは、みな譜面を見ていたので・・・「天台声明をよく、譜面にできたな~」と思いますし、式衆さんたちには、あの、楽器の、ひたすらうるさい音の中で、「よく唱えられたなぁ~」と感心します。

この苦痛の曲を聴きながら、もうひとつの間違いを感じました。

それは、普通の声明曲というものは「無拍」だということ。
唱える方としては、自分の中には「あるリズム」が存在するし、みんなで唱えるときにも、そのリズムがあるのですが、基本的には「洋楽のような拍」が無いものです。

・・・が、切々経(ぜぜぎょう・ぜぜきょう)という節を付けずに棒読みする場合は「リズムが主体」になります。
この場合、例えば「法楽太鼓」などが入って、リズムで法悦感を演出するようになっています。

実は、第1部の最後が「般若心経」だったのですが「イントロ」のようなものを楽器が演奏して、そこにお経が入って行く、という暴挙~~。

まったくもってひどいモンでしたが、心経は、コレまでもいくつも楽器のとアレンジをされてレコード&CD化されていて、聞き慣れてもいて、そういう意味で「ま、いいか」という感じです。

まず、最初は、声だけの心経に、リズムの無い楽器のアレンジ。
それも揺らぎのようなアレンジで伴奏を付てしまって、肝心の「リズムのお経」が台無しでありました。
拍があるお経の、肝心の拍を駄目にしちゃってます!
これなら、太鼓を合わせた方がいい・・と思って聴いていると・・・

途中で「戒尺(かいしゃく)」と言う音木(おんぎ)を鳴らして二巻目が始まり、これは天台宗で使っているものですが、そのリズムに、音楽リズムを合わせてきますが、今度は、メロディが中国的になってしまい、いやぁ~~~、ものすごい、違和感!でした。いやぁ、これもひどかった~

第2部は、「今様(いまよう)」を再現した曲から始まります。

今様は音楽ですが『梁塵秘抄』などに文句は残っているものの、どんなメロディだったのかは、分かりません。
それに、ピアノ兼音楽監督が曲を付けて、ソプラノ歌手が歌うというものでした。

これは、オリジナルが分からないので、なんとも言えませんが、私は「宮中歌会始」にヒントがあると思っています。

男の人が一人で、ものすごく音を伸ばして「ひさかたの───────────ォ⤴」ってやった後に、みんなで歌うところ。
実は、NHK、この大切なところ(・・・と思っているのは私だけ?)の音を絞ってナレーションを被せてしまいやがルンですぅ~(T_T)
あの「謡い」が参考になるとおもうのよね~。そんなに「遠くは無い」と思っています。

そういう認識があれば、これも、もうちょっと違った曲になったんでしょうが、やっぱり、クラシックというよりは、前衛音楽的になってしまったように思います。

その後の「唄(ばい)」は、」ウチらのほうでは、法要のはじめに唱えて、その場を静める役割があるとかいうものですが、それに楽器を合わせられてもなぁ~~、という感じ。

「散華」は、ボーサンのソロからスタート。

実は、唱える方としては、難しいもので、何せ、私など、絶対音感がありませんから「この音で」と言われても、きっちり出せません。
今回の公演でも、ソロからのスタートは難しかったようで、楽器と微妙にずれてしまったようでした。
その後、ボーサンの方から寄っていった、という感じで、だんだん合ってきたですが・・・楽器の方は、なかなか合わせにいけませんから・・・

私がやったときは、私が普段出す音を拾っていただいて、最初に、チェロでその音を出していただいて、私がそれに合わせて発声する、というやり方をしました。

・・・あ、そうそう、私も実は「コラボ」というのをやってしまっていたのでした~~(^_^)v


・・・・続く・・・・

この記事へのコメント

  • フラン

    そう、声明は「声」!! ですよね。
    雅楽と一緒になったのは結構ききますけれど、正直、わたしは雅楽すら要らない(邪魔)と思っちゃっています。(オイ…)

    声明に必要なのは、シンバルみたいなアレ(鉢?)と、あともう一つ楽器みたいなものがあったと思いますが、それらだけで充分でしょう。余計なことはしてくれるな~!! 声を聞かせろ~!! ですよね。
    2016年02月02日 08:30
  • 三日ボーズ

    僧いうことです~
    2016年02月02日 10:33

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聲明 ~音の饗宴~( in 横浜)
Excerpt: 家を出る前に詳細を確認と思って「聲明 ~音の饗宴~」で検索したら、コレが出てきた。
Weblog: 倫敦巴里
Tracked: 2019-01-26 23:10