コロモの色・・・
先日、成田山へ行った際に撮ったこの写真について「ももクロみたい~」という反応がありました~。
確かに、貫主さんの「朱」が入ったら、ももクロか戦隊ヒーローみたいなモンか(^^)/
・・・と思いつつ、じゃあこの成田山のコロモの色は何? 普段見たことないし~。
・・・と言うわけで、成田山にいる同級生に聞きましたら・・・
◆黄(おう)色は大正大学を卒業したばかりの僧侶→9~12級程度
◆水色(浅黄・あさぎ)→加行後の大学生~研修生
◆加行前は、鼠色の衣に如法衣
◆加行後は黒衣、割切
・・・ということなんだそうな。
・・・んで、コロモに詳しい「鈴木法衣店」のカタログを見ましたら・・・
・・・こうなっていたです。
そんでもって、初めて「宗制」という、宗派の規則書をみました。初めて!
智山派の法衣の色と僧階は、法衣点のカタログで合っていました。
そこで、その僧階を見ると・・・
まず、浅黄(水色)と萌黄(緑)の境界線である「大律師(だいりっし)」ですが、これは「高等学校を卒業し、専修学院の実習科を終了した者」とあります。
「律師(りっし)」は「高等学校を卒業し、専修学院の専修科或いは成田山勧学院を卒業した者」とあって、専修学院の「専修科」と「実習科」というのは知りません。
「加行(けぎょう)」を境にするのでしょうか?
大律師の規定によると、大学に行かずに専修学院に入った者が、学院を終えて「浅黄」を着る、ということになります。
また、一般大学に行きながら本山研修をしても、大学3年の終わりに受ける灌頂が終わると「僧都」の域に入っちゃうので、この「浅黄」の法衣は、どうりで見たことがないはずです。
・・・んで、このカタログの法衣店の馴染みの営業さんに聞いたら・・
「浅黄」は、やっぱり、殆ど出ないですが、時に、急に住職になるため専修学院に行ったボーサンとかが、帰って来てから着るらしい。
自行で着るのは、何でも良いはずなので、一着浅黄の法衣でも作ってみっかボーズ・・・(^_-)
ただ、成田山で見た「黄色」は本派にはありません。
これは豊山派にはあります。これも、初めて知りました。
結構幅広い僧階で着ているようなので、よく見るはずなのでずが・・・
成田の黄色は、他の寺と法要をする時のためにある、と営業さんは言ってたですが、豊山派との絡みもあるですか?
もうひとつ「木欄(もくらん・黄土色?)」の法衣があります。
これは、智山派では、朝の勤行に使います。
本山では、誰彼の区別無く、能化さま(管長猊下)も、朝は「木欄」を召されます。
これが「自行のため」ということで、私は「御本尊様の前ではみな均しく修行者である」という意味なのかな?・・・と勝手に解釈しております。
地元では、施餓鬼や護摩などにおいて「相当色(そうとうしき・位に応じた色)」だと、メンドクサイので、木欄に統一してやっております。
葬儀などの「助法(じょほう・手伝い)」の時に着たりしますが・・・
ある大先輩から「お布施をいただくんですから、相当色でなきゃイケマセン」と言われたのを思い出します。
さて、私も「そろそろ萌黄から紫にしなさいよ」という圧力的なものを感じておりますが・・・
たしか、あと2年ダメ。
前の僧階から今の「大僧都」に上げて後、4年たたないとダメ、という決まりなので・・・。
お金を払えば「ネンタン(年短?)」といって、4年経たずに上げられるのですが、お金で上げるということには、とっても抵抗があるので、この後、余程のプレッシャーがない限り、上げることはないと思います。
ちなみに「大僧正」とは・・・(以下、Wiki先生)
日本では推古天皇32年4月13日に僧正・僧都と法頭を任ずることとし、17日に百済僧の観勒が僧正に任命された。
ある僧が斧で祖父を殴った事件をきっかけに、僧侶の監督のために置かれたものである。
律令制では、僧官(日本では僧綱という)として僧正、僧都、律師の3つがあり、僧正と僧都の2つには大・少の別がある。
また後年にはそれぞれに権官が設置され、十の位が成立した。僧正には大僧正、権大僧正、僧正、権僧正の4つがあり大僧正が僧官制の頂点に位置づけられた。
もともとは、ボーサンを取り仕切る最高位で、たしか、天皇の名の下に任命されたはず。
だもん、宗派にひとりで良いように思うんだけど・・・
せいぜい「大本山」の貫主さんまで、とか。
あ、また、ちなみに、成田山や川崎大師の貫主さんは、当然「大僧正」なので「緋(ひ・赤)」の法衣ですが、たとえば、管長猊下の前に出るときには、ひとつ下げて「紫」を着ることになっています。
「赤」はひとり!・・・ということですね~。
この記事へのコメント
つる
ん?そこじゃないって?
三日ボーズ
法衣の畳み方まで載っております。
私なんか、袈裟の紐の正しい結び方をこのカタログでチェックしてるのです~
(^^;)
フラン
どうやって上がっていくのでしょうか。
お金で上げるという手まで用意されているとは。。。(・_・;)
ボーサンの世界もなかなか、いろいろ、あるんですねえ。
カラフルでキレイ~♡というもんでもなさげ!?
三日ボーズ
ひとつは、記事中にあるように、学歴。
ひとつには、法臈(ボーサンになって何年)。
ひとつには、修行。これが終わらないと上がれないというのが、いくつか。
ひとつには、お金 (^o^)・・・これは、最終的にお金を払う、ということ。
記事中にあるように、この位から次の位まで何年は上がれない、というのもあります。
高野山では、純粋に「法臈」らしい・・・。
高野山の色が、意外に地味だった。
まめぐり
剃髪しているけど作務衣+輪袈裟しか着ていない方がいらっしゃるようにお見受けします。この方達は僧侶なのでしょうか?職員の方なのでしょうか?ご存知でしたらご教示お願いします。
三日ボーズ
確証ではないですが・・・
この日の講習会も、改良衣+輪袈裟の若いのが3人聴いていたです。
三日ボーズ
まめぐり
なるほど、勧学院の方ということもあるのですね!月に2度ほど参詣し、ほぼ終日を本堂で過ごしています(檀家でも信者でもないのですが。。)。たくさんの僧侶や職員の方がいて、観察するのが楽しみの一つです。特に、お護摩の時の僧侶を方を参詣するのが楽しいです。入れ替わりで色んな方がいらっしゃいますよね。
あ、私事で失礼いたしました。今度も更新を楽しみにしています!
通りすがり
新義から高野山真言宗への転派はさらに酷く、二階級の降格、大僧正でも強制的に一階級降格とありました。
どんな基準なんでしょうね。高野山真言宗は明らかに真言他派を下に見ているようで、なんか釈然としないです。
高野山大学だって宮坂宥勝猊下の著作を教科書に使うらしいし、御修法の大阿、長者を新義が勤めることもあるし、高野山は何を以て降格の基準としているんでしょうかね。
三日ボーズ
確かに、何となく、偉そう・・・という感じはしますわな。
派を移った時の僧階が、我々の場合どうなっているか知らないので、何とも言えんですが・・・
高野山真言宗から新義に移った時には「ひとつ上げろ」とか言うんでしょか?
(^o^)・・・その前に、絶対移らないか・・・。
以前、比叡山の開山1250年の時、真言宗を代表して高野山が呼ばれました。
「歴史を越えた仲直り~」みたいに言ってましたが・・・
「比叡山が呼ぶなら〈東密・東寺〉だんべよ。高野山も、ホイホイ行くなよ。私共では無く東寺が宜しいかと。って断れよ」・・・と思っていました。
ま、そんな感じですよね。