智山の論義と竪義(その2)

ワタシも、以前の記事では竪義と論義を混同して書いておりましたが、そうではない、ということがわかりました。 保延6年(1140年)、高野山を追われた覚鑁上人は、弟子と共に大伝法院の荘園の一つであった弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移し、やがて根来寺を成立させていく。 康治2年(1143年)覚鑁上人は入滅し、根来寺奥之院の霊廟に埋葬された。 弟子たちは高野山へ戻るも既に金…

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